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バブルの歴史としての美術史
このように考えるなら、近代美術の歴史それ自体が、あたかも「バブルの歴史」のように思われないであろうか。
まさに、「モダン・アート」は、19世紀的な趣味が一種の「バブル」であったことを暴くとともに、これを崩壊させたのである。
ところで、20世紀に成立したこの「モダン・アートという趣味」は、そろそろ100年が経とうとしている。
我々は、この趣味によって美しいと認められたものを、現在も美しいと感じている。それらの美があたかも永遠に続くもののように思っており、それが一過性のものに過ぎないかも知れないとはなかなか考えられないだろう。
しかし、19世紀的な趣味がそうであったように、それが「一時的な趣味」ではない、という保証はどこかにあるだろうか。そんなものはないのである。
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Modern Artは大丈夫か
もちろん、1990年代の美術バブル崩壊は純粋に経済的な要因によるものであり、「趣味の変化」とは関係がなかった。何故なら、現在もなお、高値で取引される画家は圧倒的にピカソであり、ゴッホであるからだ。モネやルノアール、ドガを初めとする印象派絵画の人気が相変わらず高いのも、これらがモダン・アートの始祖だと見なされているからである。
しかも、これらの絵画・彫刻が投資の対象となり、極めて高額で取引されているという状況は基本的に変わっていない。2000年代に入って更新された美術オークションの最高値記録も、ピカソの作品によるものだった(『パイプを持つ少年』。ただし、円換算ベースではゴッホの『ガシェ医師』の記録は破られていない)。この事実は、我々の美意識が今もなお「モダン・アートという趣味」の枠内にあることを示唆している。
確かに、「モダン・アートという趣味」が存続する限りは、印象派やピカソの相対的な人気の高さは容易には変わらないように思われる。「モダン・アートという趣味」が存続する限りは、絵画投資における最大のリスク要因は、経済的要因、すなわち株式市場や不動産市場の低迷による投資資金の枯渇となる可能性が高い(だとすれば、絵画市場の動向を探るには、まず株式や不動産の動向を知るべきだということになる)。
だが、「モダン・アートという趣味」が永遠に続くなどと、果たして断言できるだろうか。
もちろん、それが「当面は続く」と予想されるとしても、美術品の価格を究極的に支えているのが実体のない「趣味」や「美意識」に過ぎないというリスクを、投資家はあえて無視するべきなのだろうか。
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