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暴騰を伴う暴落

「モダン・アート」の成立とともに生じたこのような趣味の変化は、果たして「モダン・アート」によってもたらされたのか、それとも逆に「モダン・アート」を準備するものであったのか。本当のところは誰にも分かるまい。しかし、美術史家ならぬ「投資家」として、ここで忘れてはならないのは、ゴッホを初めとする近代作家の高騰を支えているのが「趣味」という掴みどころのないものであること、そして、かかる「趣味の変化」の結果もたらされるのが、美術品の高騰だけではないということである。無名の作家が巨匠に祭り上げられる一方、かつての巨匠が忘却の底に沈み、その作品の市場価値が暴落することがあるのだ。

言うまでもなく、モダン・アートの成立によって、その元祖であるマネや印象派を初めとして、ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンなどの後期印象派の作品群は、その市場価値を著しく高めた。しかしながら、その一方で、19世紀フランス美術界の権威として印象派を無視あるいは敵視し、印象派の作品を官展(サロン)から落選させていたアカデミー派の画家たちの市場価値が暴落したことは間違いない。

 

 

凋落する「画壇の支配者たち」

無名時代のモネやルノアールたちが第1回印象派展を開いた1874年頃に、当時のフランス画壇の寵児であったカバネル、ジェローム、ブーグローなどに代表されるアカデミー派の作品を購入したコレクターたちは、これら「巨匠」の美が永遠であり、その作品は言わば「家宝」として将来有望な「投資」ともなると信じていたことだろう。彼らこそ、ヨーロッパ文明の申し子、芸術の都であるパリ美術界の中心にあり、国家の栄誉に浴する偉大な芸術家であったのだから。彼らの作品は、生前から国家が買い上げ、各地の美術館に収蔵されていた。当時、一大国家プロジェクトとして改造された首都パリのランドマークであった、オペラ座、パンテオン、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)などの記念建造物の壁面を飾っていたのもまた、彼らアカデミー派の絵画や彫刻だった。

しかし、早くも息子か孫の代には、それら巨匠たちの名声は地に落ち、作品は散逸して、訳の分からないモダン・アートが完全にその地位を奪ったのである。永遠と思われた美は反動と醜悪の象徴とみなされ、家宝はがらくたと化した。やがて完全な忘却によって、かかる「暴落」の記憶さえ失われる。現実は、まさに、「投資どころではなかった」のである。

 

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