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ハプスブルク朝オーストリア帝国の興隆と衰退

 英仏が市民革命の波に揉まれていたこの時代、ハプスブルク家は比較的うまくやった。

その支配下にあった、オーストリアやボヘミア、ハンガリーなどでは、17世紀前半まで続いた宗教戦争の影響で、市民階級の台頭が遅れたのも王家にとっては幸いだった。今日、「ハプスブルク」や「オーストリア」と言えばすぐ連想されるような後期バロック様式の豪奢な建築が盛んに建設され、女帝マリア・テレジアやその子ヨーゼフ2世は、啓蒙専制君主と呼ばれるように同時期のフランス国王などよりは少なくとも開明的であり、彼らの治世の下で社会は安定していた。

だが、「君主とは国家第一の僕である」と称した啓蒙君主も、結局のところは、「君主よりも下等な僕」である人民を、私物として支配していたに過ぎなかったのではないか。

ナポレオン戦争後、反動的なウィーン体制を経て、その矛盾が一気に噴き出す。1848年、フランス二月革命がオーストリアに飛び火し、ウィーンでも暴動が発生したのである。保守勢力の指導者であった宰相メッテルニヒは去り、皇帝フェルディナント1世は退位し、18歳の新帝フランツ・ヨーゼフ1世が即位して改革が成るかにみえたが、間もなく暴動は鎮圧され、自由主義勢力は後退を余儀なくされた。

 

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