世襲制のリスク
このような強大な権限を、世襲で、しかも罷免されることもない元首(君主)が保持することには当然リスクが伴う。君主がたまたま優秀であってくれればいいが、将来にわたって英明な君主が続くという保証はどこにもない。権力ばかりあって暗愚な君主を戴く国家は、喩えて言えば、無能な経営者をやめさせられない株式会社みたいなものである。経営が悪い会社は株を売ってしまえば株主でなくなることができるが、政府が愚鈍だからといって国民をやめることは容易ではない。しかも、いざとなれば戦場にまで赴かなければならない国民の責任は、財産ばかりか生命をも含む、文字通りの「無限責任」なのだ。
しかも、近代に入り、政治・社会・経済は複雑化している。たまたま王家に生まれたというだけで、政治や経済には素人であるかも知れない君主よりも、政治や経済はその道の専門家に任せて、定期的にその実績を評価できるようにした方がうまく行くに決まっている。
既得権としての帝権
けれども、中世以来広大な領地を支配してきた王家にとって、王権・帝権は既得権である。考えてみれば、これ以上旨みのある既得権もなかろう。
皇帝自身が気付いていたかどうかは分からないが、皇帝大権の維持は、ハプスブルク家の存亡を左右する危険な賭けであった。皇帝の権限が大きければ、責任も重大となる。責任の範囲が規定されていないということは、責任に限定がないということでもある。フランツ・ヨーゼフは「朕は国家なり」とは言わなかったかも知れないが、自らが統治する国のなかで、どこまでが自分のもので、どこからが自分のものでないかなど、深く考えたことはなかったに違いない。しかし、「自分のもの」が明確に限定されていなければ、万一重大な失政があったときに、かえって全てを失うかも知れないのだ。
かくして、ハプスブルク家は、その権力の委譲に失敗したのである。
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