|
カール1世、ハプスブルク最後の皇帝
既得権としての帝権の保持は、フランツ・ヨーゼフ帝の死後、早くも裏目に出ることとなった。サラエボ事件で暗殺された皇太子フランツ・フェルディナントに代わり、第一次世界大戦中の1916年、オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世が即位した。おそらくキリスト教的な人道主義者であったカールは悲惨な戦争を嫌い、政府の意向を無視して同盟国ドイツ抜きの単独和平交渉を秘密裏に進めた。しかし、1918年にフランス首相クレマンソーにより秘密交渉の事実が暴露されたことで、敗戦国オーストリアはかえって不利な立場に立たされることとなってしまったのである。
交渉の仲介にあたった人物の名をとって「シクストゥス事件」とも呼ばれるこの失態は、ある意味で、世襲の皇帝に広範な権限を与えていた帝国の制度的な欠陥を露呈したとも言えるだろう。その本来の意図の是非はともかく、若くて経験の浅い皇帝カールには、複雑化した国際政治を陰で動かす力量などなかったのである。
カール1世は、皇帝の行政権を放棄するとの宣言を発したが時すでに遅く、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニアなどの独立により小国に転落したオーストリアは皇帝の廃位を決定し、共和国となる道を選んだ。カールはスイスに亡命を余儀なくされ、その後復位を図るも果たせぬまま、1922年、ポルトガル領マデイラ島で失意のうちに死んだ。35歳の若さであった。
|
[Swiss Private Bank Account for Free]
[Offshore Trust vs. Liechtenstein
Foundation]