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イタリアから北方へ、そして革命

例えば、イタリアを代表する美術館(ウフィツィ美術館など)の中核をなすコレクションが形成されたのは、国が文化的、経済的に最も繁栄したルネサンス、バロックの時代であり、当時の代表的なコレクターはと言えば、法王、枢機卿などの高位聖職者を輩出した名門貴族の人々だった。ところが、政治的には弱小国が分立し、経済的には大航海時代に乗り遅れたイタリアは間もなく衰退してしまった。イタリア経済の停滞により貧窮化した貴族たちの美術コレクションは、その相当部分が北方のヨーロッパ諸国、すなわちフランス、ドイツ(プロシア、ザクセン、バイエルン、オーストリア)などの絶対君主の手に渡ることになる。それでも今日のイタリアが「芸術の国」としての名誉を保っているのは、代表的な作品の多くが教会のために製作されたことに加えて、コレクションの国外流出を禁じたメディチ家の遺言が守られたからである。

しかし、フランスやドイツ、ロシアなどの絶対王政の絶頂期は、今思えばあっけないほど短かった。北方の絶対君主がイタリアの美術品を買いあさってから、時をおかずしてヨーロッパには市民革命と国民主義の嵐が吹き荒れ、貴族や国王の多くは殺されたり、国外追放されるなどの憂き目にあい、その財産は没収されてしまった。ヨーロッパ諸国の美術館に、かつて貴族や国王の宮殿であったものが多いのはこのような事情による。

 

 

美術館にみる「アメリカ経営史」

このような社会の変化は19世紀を通じて進行した。19世紀前半には新興のブルジョアと貴族の力はまだ拮抗していたが、世紀後半に入ると、貴族階級の衰退は誰の目にも明らかとなった。この頃、イギリスやドイツで富裕な市民がコレクターとして登場し始めたが、これは美術品を購入できる富裕な市民層の台頭を反映している。こうして名画、名作の多くが貴族の宮殿からブルジョアの邸宅に渡ったのである。

この傾向は、20世紀前半のアメリカ合衆国において頂点に達する。アメリカの美術館について調べていると、「ホイットニー美術館」や「バーンズ・コレクション」など、個人名を冠した美術館が極めて多いのに驚かされる。その多くは収蔵作品を集めた美術コレクターの名である。金融、石油、鉄鋼などのビジネスで財をなした、当時のアメリカを代表する富豪であったコレクターの錚々たる顔ぶれを見ると、さながらアメリカ経営史そのものを辿っているかのようだ。彼らは、当時の文豪ヘンリー・ジェイムズが描き、ときどき映画化されて(『金色の嘘』など)その雰囲気の一端を窺い知ることができるヨーロッパ趣味の新興上流階級を形成した。その財力によって、19世紀の終わりから20世紀前半にかけて、ヨーロッパからアメリカへと美術品の大移動が起こったのである。

(余談だが、この時期は明治維新後の欧化政策などにより日本の伝統文化が過小評価されていた時期と重なるので、日本美術のアメリカ流出も同時に生じている。このような文化遺産の流出は嘆かわしいことかも知れないが、地理的に分散すれば、戦争や災害による壊滅的な打撃のリスクを避けられるという面もある。いわば、「国際分散投資」に似た効果があるのは否定できないだろう。)

 

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