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古銭とロスチャイルド財閥の起源

その意味で、ユダヤの巨大金融財閥であるロスチャイルド家の始祖マイヤー・アムシェル(1743-1812)が古銭商から出発したという事実は、何か象徴的なことであるように思われてならない。

それというのも、神聖ローマ帝国、さらにその後の統一以前のドイツにおける経済の分裂と混乱を端的に示しているのが、領内で鋳造された、夥しい種類の貨幣(硬貨、コイン)であるからだ。カール4世以後、帝国内の領邦の独立性は時が経つにつれてますます強まり、三十年戦争が終結してウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約)が締結された17世紀半ば頃には、ほとんどすべての諸侯領や自治都市で貨幣鋳造が行われていたらしいというから驚く。

神聖ローマ帝国領内には、ボヘミア王国のクトナー・ホラなどの銀鉱が多くあり、採掘された銀が貨幣鋳造に用いられていた。また、帝国領内ではないが、帝国に隣接し、カール4世の子ジギスムンド帝の勢力下にあったハンガリー王国(現在はスロヴァキア共和国領内)には、ヨーロッパ唯一の金鉱であるクレムニツァ鉱山を初めとして、豊かな銀山、銅山があった(クレムニツァには現在も造幣所があり、自国通貨を鋳造するだけでなく、外国の貨幣やメダルの鋳造を受注している。なお、Kremnicaを「クレムニカ」と表記するのは誤りである)

 

 

これらの資源を背景にして、宗教改革前後には金融貴族フッガー家などの富裕な商人が興隆するが、やがて新大陸から大量の銀が流入して没落した。時代は移り、オランダでは最初の株式取引所が開設され、イギリスやフランスでは紙幣を流通させるという実験が曲がりなりにも始まったのが17世紀、18世紀である。ところが、分裂国家ドイツでは、寸断された小国家や都市どうしで、未だに異なる貨幣を用いていた。これを今の日本に喩えて言えば、市町村の境界か県境のような細かい国境を越えるたびに、通貨が異なり、関税がかかったりするようなものだ。これでは商人は不便この上ない。当然、大きな商業資本などは進出しにくく、産業の発達は遅れた。

 

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